優河「街灯りの夢」〜宮崎篇〜 with zerokichi
「なんかわかんないけど、なんとなく、特別な夜になる気がするって話してるんだよね」
というアペゼ姉妹の予感は本物でした。
優河さんという歌うたいの宮崎初ライブに居合わせることができて、ものすごく幸運でした。
今の世の中、地方でも音楽の催しとかたくさんありますけど、昨夜のライブはちょっとほんとに特別だったようにおもう。
場所は江平東のネイバーフッド
zerokichiさんの表現を借りると「秘密基地みたいな」場所
日が長くなった5月の18時過ぎ、続々と集まる村人たち(比喩です
木のぬくもりもあいまって、なんか、洒落た自治公民館みたいな寄り合い所みたいな、あたたかい場所だなと。
本もたくさん
オープニングアクトのzerokichiさんのウクレレは外のちいさな雨音と合わさって風情たっぷり
そして、優河さん。
こういうのって第一声でもうわかるんだけど、最初の発声で空気がほんとうにガラッと変わって、ぐいぐい引き込まれて、声と、詩と、メロディーと、ギターと、すべての調和が、もう。
ちょっとカントリーがルーツにあったりするのかなって感じたこぶし?まわしも素敵で。
カメリアではないですが、完璧な魅力というか、彼女には魅力として完璧なもの、圧倒的なものがありました。びっくりした。
何系とかいう例えもどうかとおもうんだけど、妖精かとおもえば、もっと母性や父性すらあり、女神?女神なの?と思いながら、
思い出や感情に結びつけずに涙が出たのはひさっしぶりで、その浄化作用たるや。
つづく!
「LOVE LOVE あいしてる」
「おげんさんといっしょ」の余韻さめやらぬ今日この頃、ああいうふうにある音楽家が好きで影響を受けてきたアーティスト(星野源にとってのマイケルジャクソンや細野晴臣)を知ることができるのは、それらを知らなかった若い世代にとっては素晴らしい音楽を新しく知るきっかけになるわけで、そういうのってなんかいいよねえ。
なんておもっていた矢先に「LOVE LOVE あいしてる」復活の報。あの最後のカバー曲演奏コーナーで数々の音楽を知った世代としては(ドリカムでチャカカーン、マイラバでピチカート、などを知りました)、高まるニュースです。
シノラーの色褪せなささがすごい。
ユーミンのライブ衣装もとても良かった。
吉田拓郎さんのブログ、貼っておきますね
http://153-0051.com/log_takuro/
東京のケンキョラスの様子を教えてもらった話
東京の、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS さんでケンキョラスを取扱っていただけることが決まり、
都内在住の友人のなかで、なんとなく、いちばん最初に報告したのは、最近宮崎から引っ越していった、私のイトコの親友。従姉の親友って微妙に遠いかもだけど、私にまですごく良くしてくれている。すごいできる人。
(余談ですが、去年イトコの結婚式では彼女が友人代表スピーチをしてくれたんだけど(またそういうのもソツなくできるわけ!)新郎新婦入場の時点で号泣洪水だった私含む親族席一同は、彼女が勇ましくビールをひっかけて登壇していく頃には早くも泣き疲れていたという思い出があります。
そして大分の山奥に嫁いだ新婦はすごいアナログ人間でSNS上には存在せず、雲海みたり雪かきしたりして暮らしてるはずで、わたしも彼女とは母親の介護の話しかしてないので、親友にこんな世話になってることも知らない。そのうちまとめて報告しなければ、ですです。。)
そのあと、去年の宮崎のZINEのイベントzine it!でまたお会いして、私も彼女が山形屋裏の共有店舗で週一でやっていたスナックで駆けつけ一杯ひっかけつついろいろ話きいてもらったりして。鉄砲イズムを理解していることもあり、私がマスターのことを書いたことを喜んでくれて感想もくれて、ケンキョラス自体、すごく応援してくれて、建設的な意見をくれる。口だけじゃなく、ほんとに応援してくれている。
鉄砲のトイレにも、落書きをくれていた
前置きが長くなってしまいましたが、その彼女が、早速SPBSさんへ行ってくれて、しかもわざわざ店員さんに許可を取って展開のようすを教えてくれました。泣ける
ていうか、泣いた。
出先の、「トイレットなんかで、泣いてしまったのだ」(by 山田詠美)
ケンキョラス、
の横に並べてもらって超嬉しそうなんだけど!!
わたし去年の春SPBSで真鶴出版さんのリトルプレス購入しましたし
(つぎ小田原のいとこのとこ行くとき、ぜひ訪れてみたい!と思って)
泊まれる出版社ってあんた。。。どんだけすてきなん。。。
すてきなローカルzineやリトルプレスたちのなかに、ケンキョラスがある。。。
すごい。。。
店員さんのあたたかいお言葉も(うれしい!)、それを聞き出して報告してくれた友人も(ほんとうにうれしい!)
置いてくださってるSPBSさんも。
(限られたスペースに考え抜かれた選書ほどこされてることも、新陳代謝ハゲしいことも、素人目にもわかるくらい素敵な本屋さんだって知っているから余計うれしい)
取扱への後押しや繋がりをくださった方々も。
みなさま、ほんとうに、ありがとうございます。
だからもう、これは、自分がもっと力をつけて、いいものつくって、恩返しするほかない。それしかこの感謝の還元の方法はない。
ものつくるのも、販促や営業も、わたしには才能ないけど、ないならないなりに、愚直に、やるしかないよね。手探りだらけだけど、ひとりじゃないしね。
私は墓で先祖と話して(話した気になって)安心するのが趣味なんだけど、じいさんばあさん叔父や従兄たち「引き続き、まっすぐ、がんばれ」言ってた!気が!する〜
ねばねば!
引き続き、よろしく伏してお願いもうしあげます。
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鉄砲のカウンターにて、酒場の会話
2月某日
その日は、私の身の程知らずなおつかいの頼み方に応えてくださった粋な大人たちの優しさにふれ、さらにそので繋がりで、ある方にケンキョラスのレビューを素晴らしく素敵に書いていただいた。
それを我が事のように喜んでくれたアペゼどんが鉄砲で祝杯をあげるというので、ついていくと、
数日前にたまたま雑炊屋さんでご一緒し、ケンキョラスを購入くださったチッチキチーさん(仮)が「ケンキョラス読んでたら、ここの串が食べたくなったのよ」と現れ、
鞄からおもむろにケンキョラス出し、結局みんなでマスターへの質問タイムしたりケンキョラスの今後に思いを馳せたり。いいぞ人間交差点、いいぞ鉄砲、だったんですが、
チッチキチーさんの会話がおもしろすぎたので途中から録音させてもらったものを、以下、一部書き起こします。
(最近の趣味、書き起こしと化してますか、大丈夫ですか、)
登場人物:
アペゼどん(以下、ア)、
謎のケンキョラス読者チッチキチーさん(以下、チ)※酔ってる
鉄砲マスター(以下、鉄)、
ぱっこりん(以下、ぱ))
(ケンキョラスを今後どうしていくの?みたいな話、みんなジブンゴト化して考えてくれて、いろいろアイディアをもらって)
チ「定期購読制とかにしたらいいんじゃない?」
ぱ「定期購読?!定期購読してくれるんですか?」
ア「すごいね、いろんなアイディアがでてくる」
チ「そうするにはどうすればいいのか、うーん」
ア「超おもしろいね」
ぱ「異業種の人と話すとね、自分にはない引き出しがばんばん出てくるからね」
チ「たとえばほら、“食べる通信”とかあるじゃん、自分、高千穂郷のを定期購読してるんだけどね」(高千穂郷 食べる通信)
ぱ「ああ、あの、ふるさと納税の返礼みたいに肉とかが一緒に贈られてくるやつ?」
チ「(カメラロールの写真を掘って)これが一回目の高千穂牛だったんだ、これは二回目の柚子ね、こういう地域の食材を知り合いの料理屋さんの信頼してるシェフに調理してもらって、ぼくはそれを写真を撮って、食べてこうだったああだったっていうのを個人的に発信をしてるんだけどね」
ア・ぱ「すごい!!」
ぱ「それは、こう、地域活性みたいなのを応援したいってかんじですか?」
チ「そう。まあ、普段から食べるのが好きでいろんなお店に行くしね、地域でがんばってる若者を応援したいっていうのもあるしね。で、結局、食べる通信ていうのが、いま高千穂の若い人たちがものすごく頑張ってて、生産者と消費者をつなげたいっていう思いでやってるんだよ。で、消費者的にいうと、料理人さんてやっぱり素材に対するリスペクトを土台に、感性と技で料理をつくって食べる人を感動させるわけじゃん?だからあの、生産者と消費者とをつなぐって意味ですごい味方になると思うんだよね」
ア・ぱ「超わかります」(うなずく)
ア「ほんとそうですよね。」
ぱ「花屋もそうか」
ア「そう。だって、生産者さんがいちばんお花のことわかってるし、」
ぱ「その文脈では花屋さんも料理人っていうか媒介人みたいなもんですもんね」
(忙しさが落ち着いた鉄砲マスターと目が合う)
ぱ「聞いてた?述べたいでしょう、感想どうぞ?」
鉄「いやいや、そんな、評価する力は私にはありません」
ぱ「からの?」
鉄「ただね、宮崎はね、どっちにしてもね、いいものを持ってたって、宝の持ち腐れといっしょみたいなところあるのよこれは」
ぱ「発信力問題、みんな言うよね」
鉄「だって、携帯電話と一緒やとよ。圏外にあるようなもんやわー、受信ができんけりゃ発信もできない」
ぱ「発信力ってみんな言うけどさー、発信力ってなんなんでしょうね?ってこの議題このまえピラノフとも話してたんだけど」
鉄「だからね、ライブでも一緒なのよ。現場では評価しないで終わって家に帰ってから良かったねなんじゃらかんじゃらとかさ、食べ物屋でも、そこのレストランでそこの人に“美味しかったですよ”って伝えること、できない人が多いがね。伝えなきゃ、何にもならんとぞ」
チ「俺は、てげ(=very. 宮崎弁)、訊く。お店の人にてげ訊く。せっかくの美味しいものっていうのは、ちゃんと価値を知って食べたいから、お店の人にすごく訊きたいんですよ。これ何ですか、これ何ですかって。」
鉄「(作る側も)なんぼ素材にこだわっても、伝わらなかったら、何にもならんのよ」
チ「もったいないですよね。その素材を手に入れたり育てたりするのに、どんだけの手間暇やドラマがあるかとかね、知って味わいたいわ」
鉄「そう。だって、日本一っていってる都城和牛(宮崎牛)よね、東京あたりでよ、神戸牛、松阪牛、宮崎牛、いろいろあって、どっちが選ばれるかって話よ。なんでかっていうの、わかりますか?」
三人(考える)
鉄「宮崎の人間自体が、宮崎和牛を(それほど)食べてないからよ」
チ「なるほどね、それ大事だね。うん、すごく大事だね」
鉄「県外からきた人に宮崎牛についてきかれてよ、どこでどんな食べ方するのがいいですか?しゃぶしゃぶですか?ステーキですか?ってきかれてよ、答えられないよ」
ぱ「たしかに、神戸牛や松阪牛との差異でもって語れるほど食べてないわ」
鉄「チキン南蛮なら答えられるのよ」
(一同、笑)
鉄「うどんなら答えられるのよ、どの店がどうだって」
ア「余裕がないのかな?」
ぱ「それもありますよね、私なんかもそうだけど」
鉄「だから、地産地消っていうのは、僕はいつも言うけど、どうなんだろうって」
ぱ「ほんとにいつもおっしゃってます」
鉄「だってある種、外で売れんければ、なんの意味があろうかってね。ここでとれたものをここだけで食べるんだったら、おれんちの畑と一緒ですよ。僕はそう思いますね」
ぱ「これちょっとマスターの名誉のために補足していいですか?つくったものを売る、それを生業にする、流通させる、経済を回すって観点でいうとって意味だと思います」
鉄「はい」
ア「花は、もう、地元のものが地元の店には入らないことも多いんですよ。九州のお花は東京の方へ行っちゃうのも多くて、私たち(地元の花屋)は注文したら、東京経由の高い値段のが届く、みたいなのがあって」
チ「まじで?」
ぱ「逆輸入みたいな?」
ア「私たち花屋が産地を見に行って、信頼関係を築いてってなると卸してくれるのかもしれないけど、当たり前だけど高く買ってくれる方に出すから。で、また、そういう良いものを、東京とか中央の人たちの方が拾うスピードも速いんだと思う」
ぱ「あー」
ア「たとえば、淡い色の、ちょっとくすんだような色の花とかあるんだけど、私それすごく好きな花なんだけど、こっちではちょっと枯れてると?みたいな見方になることも多いみたいであんまり出回ってなくて、で、ほとんど東京にいっちゃう、みたいなのとかね。なんかもうほんとうに、もどかしい・・・」
ぱ「お花業界もそうなのか・・・」
ア「お花つくってる生産者さんのところ、この前もいろいろ行ったんですけど、地元の他に東京にも卸してるってところに行ったら、わたしたち地元の花屋が来たことをすごく喜んでくれて、嬉しそうにいろいろ教えてくださって。でもほら、生産者さんはあくまで生産者さんで、どこで高値で売れるかとかはまた担当が別だから」
ぱ「卸屋さん?問屋さん?」
ア「うん。だから生産者さんはいいものをつくることに徹するというか。」
ぱ「宮崎の生産者→東京へって図式が出来上がってるわけね」
鉄「魚なんかも一緒みたいよ」
一同「ああー」
鉄「ぜんぶ築地に行って、近海ものしか県内では出回らないみたよ。いいものがあがったときには、築地へやった方が金になるわけよ」
一同「うんー」
鉄「うちの創業時からの看板メニューでつかってるアスパラガスなんかでも、今でこそ普及してるけど、昭和53年当時はアスパラって何ですかって訊かれよったのよ。アスパラガスをつかってるところは、当時、宮崎観光ホテルぐらいよ。グリーンアスパラを何するのかって言われてよ、缶詰のアスパラじゃいかんのかって。だからその頃、宮崎のほとんどの人が缶詰のアスパラしか知らんかったはずやじ」
チ「あの白いやつ?」
鉄「はい。で、うちは、市場で引いてくれって頼んでたっちゃけど、引けないときがあるがね。大阪の市場に電話して頼んで引いて、結構な高値やとよ。だけど僕はそのときこだわってたから。看板メニューでうちの売りだから。だから、高くでもなんでも引くって、僕ずーーーーっとやってきたんですよ。」
(ラジオから人間の証明のテーマが流れる)
鉄「またこのいいタイミングで、いい音楽が流れたねえ」
チ「これ人間の証明だっけ?なんだっけ?」
鉄「歌いましょうかね、僕」
チ「人間の証明だっけ?これ」
ア・ぱ(爆笑)
鉄「だからね、グリーンアスパラを、宮崎で浸透させた普及させたっていうことに関しては、僕は自負があります。月日が経てば、今みたいにスーパーでも普通に流通してるでしょうけどね。輸入物でもなんでもある時代になってきましたけど、その当時は僕は信州ものにこだわってたんです。長野か群馬。ただ今は、高千穂でも作ってるみたいですよね」
ア「そのものの良さを知るってことなんだろうね」
鉄「あまりにも、知らないのよ」
ア「流行りだーオシャレだー、なんじゃらかんじゃらだけでさ」
ぱ「なんかこう、枠組みだけのオシャレとか体裁だけがあって、内容が無いヨーみたいなのが多いじゃん、なんかさ」
ア「うん(笑)。これ、やってる自分、かっこいい!みたいなやつやろ?」
ぱ「そう!!!なんなのあれ」
鉄「ママ~♪(人間の証明を歌う)」
ア・ぱ(爆笑)
チ「人間の証明なの?」
一同 (爆笑)
ぱ「そればっかり気になってる」
チ「はやく答えがほしいんだけど」
ア「いま調べるときじゃない?」
鉄「これ誰が歌ってるか知ってる?」
ぱ「つのだ☆ひろ?」←違
(そして話題は“人間の証明”から音楽へと移り、夜は更けていくのでした・・・)
ヨーコとばなな
“オノ・ヨーコさんが「今は困難な時代になってきていて、私でさえ生きにくいけれど、一日にひとつ、何か心が躍ることをしてください、なにひとつそれがなかったら、誰かほかの人にそれをしてあげてください、そこから世の中が変わっていくのだから」というようなことをインタビューでおっしゃっていて、なんとすばらしいことを言うのだ、と深く感じ入りました。
私にとっていつもそれは、こつこつと小説を書いて、それが誰かに届くことです。“
と、よしもとばななさんが「吉本ばなな自選選集4」のあとがきで書かれていたのに深く感じ入り、それが出版された2001年当時から手帳に書写するなどしてことあるごとに引用しているのですが、先日久しぶりに実家から持ち帰り、読み返して、これをばななさん三十六で書いていた事実に驚きを隠せない。
”人生についてのあれこれを書くことこそが私のしたいことだ!と鼻息も荒く書き続けてきたはずなのに、まとめて読んだらやはり・・・・。絵のない『ひな菊の人生』や『悲しい予感』は迷子のようでさえありました。さらに最後の短編に至ってはエッセイなのか小説なのははっきりしろ!っていうくらいに、着地点を見失っている・・・しかし、これこそが、今、三十六歳の私の、いるところなのでしょう。
(中略)
そう思うと、人生は短いのです。書きたいものを思い切り書いて、愛する人々と助け合って、思い切り泣いたり笑ったりした後、この美しい星の上で、天寿を全うして死んでいけたら・・・、そう願います。それはそんなに大それたことでも、甘いことでもないと、三十六歳になって、まだ本気で思っています。
(中略)
japanese tip と私(⑧旅人に直撃5)
(インタビューつづき)
- 続けていくことで見えるものがある
ぱ「座右の銘とかってあるんですか?」
た「笑 ないです」
ぱ「うそ、めっちゃありそう、哲学とか」
た「あれなんすよ、はまれないんすよ、いろんなものに」
ぱ「なんか冷静ですよね、どこかで。いい意味でフラットというか」
た「そう、なんか、はまりたいのに、はまれなかったりして、どっかでシュッて客観視しちゃう部分があるんですよね。それは自分としてはあまり好きじゃない性質なんですけど。めっちゃ好きなアーティストがいるわけでもないし」
ぱ「でもすごい根性を感じるというか、この活動4年目?でしたよね?」
た「そうっすね」
ぱ「なかなかできないですよ、私なんかヘタレだからほんとにそう思います」
た「新しいことをやるのも大事やとか言われることもあるんですけど、なんか、続けて見えるものもあるなっていうね」
ぱ「26にして(涙を拭くまね)」
た「いやいや笑」
- ずっと反骨精神で生きてきた
ぱ「そのモチベーションを保つ秘訣はなんだろなっていうね」
た「小さい頃は、ずっと反骨精神で生きてきて、自分、学生時代とかも“なんもできへんやつ”やったんですよ。大学初期は時にひどくて。(京都造形大学の)空間デザイン学科に入ったんですね」
ぱ「空間デザイン」
た「それは、なんでもするんですよ。パソコンで椅子のパーツつくったり、空間のウインドウディスプレイつくったり、地下空間を設計したりとか。本つくったり写真撮ったり、もういろんなことする学科だったんですけど、そこにポンって入ってもーたんですよ。なんか“ものつくりたいな”ってだけでね。親とかも猛反対やったんですけど、実際入ってみたら、思ってたのとちゃうんかったんですよ。想像をつくるばっかりで、パソコンでモデリングとか。いや、実際、ないから、わからんと。そういうプレゼンしたところで、つくってくれたらいいよと。偉そうですけど(笑)。作れへんやんか、と思って、めっちゃ嫌になって」
ぱ(爆笑)
た「で、どうしようかなーもう学科変えるか辞めようかぐらい思ってたときあって。そのときに自分が提出してた作品についてた名前が、毎回みんな辰巳クオリティーって言ってて」
ぱ「へー」
た「悪い意味でね」
ぱ「あ、そうなんですか?」
た「おまえそれ辰巳クオリティーやんけってなったらもう最悪で、下から1番目とか2番目。ようわからんやつ、みたいな。ばかにされとったんですよね、どこか。で、自分はヘラヘラしとったんですけど、それはそれでまあいっかと思って。」
ぱ「へー」
た「ずっと特になにもできひん半生を送ってたんですけど、妄想だけはしてたというか、口で発するの苦手やったから、こう頭で考えて、でもそれってものにならないとみんなに伝わらないし、」
ぱ「難しいとこですよね」
- シロクマ先生との出会い
た「そんななかで、シロクマ先生の授業を間違ってとったんですよ」
ぱ「間違って?」
た「1こ数字を間違って出したんですよ、4か3か」
ぱ「履修届の?」
た「そう。それがジュエリーの授業で。ワン・デイ・ジュエリーっていう授業やったんですよ」
ぱ「ワン・デイ・ジュエリー。いい名前」
た「一日でジュエリーをつくるっていう。ある女の子は、きのう徹夜して彼氏のこと考えてニキビつくってきました、それが私の青春です、みたいなジュエリーとか」
ぱ「あらー、すてき」
た「なんか、なんでもアリやったんですよ、その授業は。評価も、それぞれの思ってるものがあって、それをジュエリーとして捉えてくれるんやなーっていうか、“あ、なるほどな”“こんな世界もあるんや”って思って、授業を辞めずに行くようになったのがあって。毎回作文を書かされるんですね。なんでも、あったこととか、先生への手紙を書くんですけど。ダンスでこういうことがありました、僕はこうやったけど、こうしました、みたいな。そして先生から返事もらうんですけど、先生もすごいおもしろがってくれたりとかして。ああ、なんか、自分の妄想を文字にするだけで、理解してくれる人がいたんや、と思って。」
ぱ「すてきな話―。だって絵本に、“ぼくはたつみくんのことが大好きで”って書いてあったよ」
た「笑 そうそれで一緒に釣り行ってくださったりするんですけど、家泊めさせてもらったりとか」
ぱ「先生はたつみくんのどこが好きなんだろう?きいたことあります?」
た「いやーわからんです。あんまききたくないっすね、こそばいですね」
ぱ「やー、教え子といえども、プロのデザイナーがここまでする?!ってね。まあケンキョラスも一緒なんですけど」
- かたちのないものをつくる
た「うーん。で、ある日に、ゴールデンウィークに“遠いところへ行け”って指令が出たんですよ、先生から。で、作文に書いて提出しろって課題で。お金ずっとなかったんですよね、その時。で、まかない目当てに働いててこれ(ジャパニーズチップ)生まれたのもあるんですけど、お金ないから遠いところに行けない、と。で、考えてたら、うーん、じゃあ胃袋から遠い旅をしてみようと思って」
ぱ「胃袋?!」
た「お金を使わずに京都でどれだけ生きていけるのかってテーマで2週間くらい実験したんです。いろんな設定をつくって、友達がいない設定とか、パンの耳だけで生きてみるとか、水は川の水に限るとか、近所の知らない人にごはんをねだるのはオッケーとか。まあけっこう辛かったんですけど、その日記を書いたりして。」
ぱ「自作自演だ?」
た「そうですね。それも作品としてみてくださって。で、自分はなにもつくれないけど、こうやって体験して、おもしろがってくれる人はいると。ていうのから、形にならない作品をつくっていくことが多くて。状況を作品にするというか。」
ぱ「根幹はそこだ?このジャパニーズチップも。箸袋はあるけど、そのまわりで発生する体験だったり状況だったり。アートだ?」
た「生き方の」
ぱ「way of style?」
た「なんていうかな、アートになったらいいなと思いますけどね」
ぱ「壮大な実験の途中なんですね」
た「そうですね」
ぱ「シロクマ先生との出会いもおおきいですね」
た「辞めてたかもしれませんからね。そこから、なんか、出版社のアルバイト誘ってくださったり、いろんな相談に乗ってくださったりして。今回のクラウドファンディングとかも一番高いやつ応援してくださったりして。」
ぱ「シロクマ先生、かっけー!」
た「ね。まだお若い方なんですけど、30代後半くらいかなあ」
ぱ「そうやっちゃ、私あんまり変わらんじゃん、やだー。この絵本のシロクマ先生の絵も文章もとても素敵ですもんね、詩的で。もちろんお二人ともだけど。やっぱこう、シロクマ先生のがあるのとないのとではちがいますよね、私は辰巳さんご本人より先に絵本に出会ったのもあると思うけど、ちゃんと大人が応援してるっていうのが最初にわかったから。しかもこんな不思議な魅力の持ち主、すてきな大人がって」
- 今後のはなし、ジャパニーズチップの行方
ぱ「そのシロクマ先生が、展示会のデザインを担当なさる?」
た「やってくれると思います、オッケーしてくれたから」
ぱ「展示会はどこでやるんですか?島根?」
た「いま決まってるのは、東京です。」
ぱ「おおー。時期的には?」
た「今年中にと思ってます。東京の展示が、海外へのチケットになればいいなっておもってるんですけど。東京と海外は1回ずつはやりたくて。それが済んだら(ジャパニーズチップの)図鑑ができてるはずなんで、あとはみんなが好きにつくったり楽しんでくれたらいいなって」
ぱ「じゃあまたクラウドファンディング?」
た「クラウドファンディングせんでもできたらいいです、次は」
ぱ「はい」
た「いろんな人が勝手に応援してくれて、協賛とかついてくださったら」
ぱ「ですね。呼ばれて、行きますって展示とかするっていうのが形としてはいちばん美しいかもですね」
た「それが理想ですね」
- ひとことで説明できない参加型アートとしてのJapanese Tip
ぱ「アートプロジェクト・・・」
た「ね、呼名がなかなか難しいですよね」
ぱ「でも、それもまた良いですよね。なんていうかこう、かっちり決まりきってないというか、受信者側に能動的に解釈させる余白があるというか。」
た「だからこう、人に紹介してもらうときが一番申し訳ないって思うのが、簡単に説明できないところで。」
ぱ「それはあるかもですね。私も誤解してたというか、最初インスタで見た印象と、Facebookの印象が全然ちがって、公式サイト見たらまた別の印象で。」
た「笑 それたぶんこっちが下手なんですよ」
ぱ「いやいやいやいや、多面的というか、マクルーハンいうところのクールなコンテクストですよ。下手にブランディングだけうまくてパッと見スタイリッシュだけど内容がないよーみたいなのより全然クール。参加型アートですよこれは」
た「笑」
ぱ「長々とすみません。貴重なお時間と楽しいお話し、ありがとうございました。ちょっと、私の力でまとめられるか不安ですけど、でもすごいおもしろかったです」
た「こちらこそありがとうございます。詐欺の話メインで。笑」
ぱ「あ、最後に、宮崎に人々に言いたいこととかありますか?」
た「宮崎の人に言いたいことか・・・あ、マンゴー食べれなかったです 笑」
ぱ「なんで最後小4男子みたいになっちゃうんですか、ずっと大人っぽかったのに!笑。じゃあ送りますね、マンゴー。旅が終わったころに」
(以上、書き起こしおわり)