一心鮨光洋はJAZZだった、の巻
出される握りをわんこそばのように素直にパクパクいただいて、あっという間の12貫。能書きたれてる暇なんてなかった。だって笑ってた。ほんとに旨いもの食べたとき、人は笑うんだね。私は笑った。なんじゃこりゃあぁあぁあーの大爆笑。笑い続けた秋の昼。
ここの大将のファンになっちゃったよ。食通のお友達ともども(ご本人は謙遜なさってるので、食通とはここでは他称です)
そのお客に適した愉しませ方で、美味しい鮨握ってくれる大将(37歳)。それぞれの役割まっとうするスタッフのみなさま。全国各地でいろんな旨いもの食べてるであろうお連れ様(パイセン)が「こんなに明るいお鮨屋さん珍しい」と申しておりました。まちがいなくいい”気”流れてた。
私みたいな素人でもリラックスして純粋に「おいしいおいしい」と味わえる雰囲気を作ってくだすった上、「こんなに笑ってくれるお客様方もめずらしい」とお褒めのことば(?)たまわった四男さんにはムーンウォークまで披露いただき、大将の笑点みたいなオヤジギャグ?(海苔がフランス産じゃなかったです、パリパリしてませんでした...とか)や、お弟子さん達との掛け合いも冴え渡り、大満足。
それを人々はホスピタリティーと呼ぶんでしょうね。しみじみ
(余談ですが、私は、例えば大将が怖くてお弟子さん達が笑顔一つ出せないような店ではもれなくつられて萎縮するタイプの小心者。もちろん味どころではなくなり、消耗して、不憫で、悲しくなっちゃって、グッバイ)
鮨職人さんてエンターテイナーなんだね。ここの握りをカウンターで頂くのは、ライブでありセッションであり、もちろんアドリブもあり、タモリさんいうところのまさにJAZZだった。
そう、一心鮨光洋はJAZZだったのである!
大好きなジャズピアニスト上原ひろみさんがライブの際よく「この日この場所でしか出会えない音楽を探していきたい」というようなことをおっしゃるのだけど、それに通じるもの感じました。「その日その場所でしか出会えない大将の握り」を求めて、人々はまたあの暖簾をくぐり、カウンターを目指すんじゃなかろうか。
ライブを観にいくように、「一心鮨光洋で鮨を食べる」という「体験」をしに行く感覚。
握り一つ一つがそれぞれ躍動してるようだったもん。それは、南部鉄器で日向南瓜とともに炊かれたというやさしい甘み醸すシャリが照明の加減で光り輝いて見えたという理由だけではないとおもう。大将の歓びみたいなのが手からお鮨に注入されてるイメージ。食べた私もしあわせになるイメージ。握る人によってこんなにも違うのか。鮨って「生き物」だったんですね(比喩です)。知らなかったですし深いですしおすし。
某食べログなどで賞賛される理由がわかる。彼の握りを食べたいと、リピーターが後を絶たない理由がわかる。
「最高だったね」「すばらしかったね」と興奮覚めぬまま腹ごなしに散歩していた先のカリーノ地下キッチンスタジオで「一心鮨光洋の大将が教える銀シャリの作り方講座」告知を見つけた日には、ここでもまた大将〜!!うお〜〜、また会いに行くからね〜!と叫んだのでした。チャンチャン
うに巻き。ふわっふわ
大将、お体大切に、ますますのご活躍を!