鉄砲のカウンターにて、酒場の会話
2月某日
その日は、私の身の程知らずなおつかいの頼み方に応えてくださった粋な大人たちの優しさにふれ、さらにそので繋がりで、ある方にケンキョラスのレビューを素晴らしく素敵に書いていただいた。
それを我が事のように喜んでくれたアペゼどんが鉄砲で祝杯をあげるというので、ついていくと、
数日前にたまたま雑炊屋さんでご一緒し、ケンキョラスを購入くださったチッチキチーさん(仮)が「ケンキョラス読んでたら、ここの串が食べたくなったのよ」と現れ、
鞄からおもむろにケンキョラス出し、結局みんなでマスターへの質問タイムしたりケンキョラスの今後に思いを馳せたり。いいぞ人間交差点、いいぞ鉄砲、だったんですが、
チッチキチーさんの会話がおもしろすぎたので途中から録音させてもらったものを、以下、一部書き起こします。
(最近の趣味、書き起こしと化してますか、大丈夫ですか、)
登場人物:
アペゼどん(以下、ア)、
謎のケンキョラス読者チッチキチーさん(以下、チ)※酔ってる
鉄砲マスター(以下、鉄)、
ぱっこりん(以下、ぱ))
(ケンキョラスを今後どうしていくの?みたいな話、みんなジブンゴト化して考えてくれて、いろいろアイディアをもらって)
チ「定期購読制とかにしたらいいんじゃない?」
ぱ「定期購読?!定期購読してくれるんですか?」
ア「すごいね、いろんなアイディアがでてくる」
チ「そうするにはどうすればいいのか、うーん」
ア「超おもしろいね」
ぱ「異業種の人と話すとね、自分にはない引き出しがばんばん出てくるからね」
チ「たとえばほら、“食べる通信”とかあるじゃん、自分、高千穂郷のを定期購読してるんだけどね」(高千穂郷 食べる通信)
ぱ「ああ、あの、ふるさと納税の返礼みたいに肉とかが一緒に贈られてくるやつ?」
チ「(カメラロールの写真を掘って)これが一回目の高千穂牛だったんだ、これは二回目の柚子ね、こういう地域の食材を知り合いの料理屋さんの信頼してるシェフに調理してもらって、ぼくはそれを写真を撮って、食べてこうだったああだったっていうのを個人的に発信をしてるんだけどね」
ア・ぱ「すごい!!」
ぱ「それは、こう、地域活性みたいなのを応援したいってかんじですか?」
チ「そう。まあ、普段から食べるのが好きでいろんなお店に行くしね、地域でがんばってる若者を応援したいっていうのもあるしね。で、結局、食べる通信ていうのが、いま高千穂の若い人たちがものすごく頑張ってて、生産者と消費者をつなげたいっていう思いでやってるんだよ。で、消費者的にいうと、料理人さんてやっぱり素材に対するリスペクトを土台に、感性と技で料理をつくって食べる人を感動させるわけじゃん?だからあの、生産者と消費者とをつなぐって意味ですごい味方になると思うんだよね」
ア・ぱ「超わかります」(うなずく)
ア「ほんとそうですよね。」
ぱ「花屋もそうか」
ア「そう。だって、生産者さんがいちばんお花のことわかってるし、」
ぱ「その文脈では花屋さんも料理人っていうか媒介人みたいなもんですもんね」
(忙しさが落ち着いた鉄砲マスターと目が合う)
ぱ「聞いてた?述べたいでしょう、感想どうぞ?」
鉄「いやいや、そんな、評価する力は私にはありません」
ぱ「からの?」
鉄「ただね、宮崎はね、どっちにしてもね、いいものを持ってたって、宝の持ち腐れといっしょみたいなところあるのよこれは」
ぱ「発信力問題、みんな言うよね」
鉄「だって、携帯電話と一緒やとよ。圏外にあるようなもんやわー、受信ができんけりゃ発信もできない」
ぱ「発信力ってみんな言うけどさー、発信力ってなんなんでしょうね?ってこの議題このまえピラノフとも話してたんだけど」
鉄「だからね、ライブでも一緒なのよ。現場では評価しないで終わって家に帰ってから良かったねなんじゃらかんじゃらとかさ、食べ物屋でも、そこのレストランでそこの人に“美味しかったですよ”って伝えること、できない人が多いがね。伝えなきゃ、何にもならんとぞ」
チ「俺は、てげ(=very. 宮崎弁)、訊く。お店の人にてげ訊く。せっかくの美味しいものっていうのは、ちゃんと価値を知って食べたいから、お店の人にすごく訊きたいんですよ。これ何ですか、これ何ですかって。」
鉄「(作る側も)なんぼ素材にこだわっても、伝わらなかったら、何にもならんのよ」
チ「もったいないですよね。その素材を手に入れたり育てたりするのに、どんだけの手間暇やドラマがあるかとかね、知って味わいたいわ」
鉄「そう。だって、日本一っていってる都城和牛(宮崎牛)よね、東京あたりでよ、神戸牛、松阪牛、宮崎牛、いろいろあって、どっちが選ばれるかって話よ。なんでかっていうの、わかりますか?」
三人(考える)
鉄「宮崎の人間自体が、宮崎和牛を(それほど)食べてないからよ」
チ「なるほどね、それ大事だね。うん、すごく大事だね」
鉄「県外からきた人に宮崎牛についてきかれてよ、どこでどんな食べ方するのがいいですか?しゃぶしゃぶですか?ステーキですか?ってきかれてよ、答えられないよ」
ぱ「たしかに、神戸牛や松阪牛との差異でもって語れるほど食べてないわ」
鉄「チキン南蛮なら答えられるのよ」
(一同、笑)
鉄「うどんなら答えられるのよ、どの店がどうだって」
ア「余裕がないのかな?」
ぱ「それもありますよね、私なんかもそうだけど」
鉄「だから、地産地消っていうのは、僕はいつも言うけど、どうなんだろうって」
ぱ「ほんとにいつもおっしゃってます」
鉄「だってある種、外で売れんければ、なんの意味があろうかってね。ここでとれたものをここだけで食べるんだったら、おれんちの畑と一緒ですよ。僕はそう思いますね」
ぱ「これちょっとマスターの名誉のために補足していいですか?つくったものを売る、それを生業にする、流通させる、経済を回すって観点でいうとって意味だと思います」
鉄「はい」
ア「花は、もう、地元のものが地元の店には入らないことも多いんですよ。九州のお花は東京の方へ行っちゃうのも多くて、私たち(地元の花屋)は注文したら、東京経由の高い値段のが届く、みたいなのがあって」
チ「まじで?」
ぱ「逆輸入みたいな?」
ア「私たち花屋が産地を見に行って、信頼関係を築いてってなると卸してくれるのかもしれないけど、当たり前だけど高く買ってくれる方に出すから。で、また、そういう良いものを、東京とか中央の人たちの方が拾うスピードも速いんだと思う」
ぱ「あー」
ア「たとえば、淡い色の、ちょっとくすんだような色の花とかあるんだけど、私それすごく好きな花なんだけど、こっちではちょっと枯れてると?みたいな見方になることも多いみたいであんまり出回ってなくて、で、ほとんど東京にいっちゃう、みたいなのとかね。なんかもうほんとうに、もどかしい・・・」
ぱ「お花業界もそうなのか・・・」
ア「お花つくってる生産者さんのところ、この前もいろいろ行ったんですけど、地元の他に東京にも卸してるってところに行ったら、わたしたち地元の花屋が来たことをすごく喜んでくれて、嬉しそうにいろいろ教えてくださって。でもほら、生産者さんはあくまで生産者さんで、どこで高値で売れるかとかはまた担当が別だから」
ぱ「卸屋さん?問屋さん?」
ア「うん。だから生産者さんはいいものをつくることに徹するというか。」
ぱ「宮崎の生産者→東京へって図式が出来上がってるわけね」
鉄「魚なんかも一緒みたいよ」
一同「ああー」
鉄「ぜんぶ築地に行って、近海ものしか県内では出回らないみたよ。いいものがあがったときには、築地へやった方が金になるわけよ」
一同「うんー」
鉄「うちの創業時からの看板メニューでつかってるアスパラガスなんかでも、今でこそ普及してるけど、昭和53年当時はアスパラって何ですかって訊かれよったのよ。アスパラガスをつかってるところは、当時、宮崎観光ホテルぐらいよ。グリーンアスパラを何するのかって言われてよ、缶詰のアスパラじゃいかんのかって。だからその頃、宮崎のほとんどの人が缶詰のアスパラしか知らんかったはずやじ」
チ「あの白いやつ?」
鉄「はい。で、うちは、市場で引いてくれって頼んでたっちゃけど、引けないときがあるがね。大阪の市場に電話して頼んで引いて、結構な高値やとよ。だけど僕はそのときこだわってたから。看板メニューでうちの売りだから。だから、高くでもなんでも引くって、僕ずーーーーっとやってきたんですよ。」
(ラジオから人間の証明のテーマが流れる)
鉄「またこのいいタイミングで、いい音楽が流れたねえ」
チ「これ人間の証明だっけ?なんだっけ?」
鉄「歌いましょうかね、僕」
チ「人間の証明だっけ?これ」
ア・ぱ(爆笑)
鉄「だからね、グリーンアスパラを、宮崎で浸透させた普及させたっていうことに関しては、僕は自負があります。月日が経てば、今みたいにスーパーでも普通に流通してるでしょうけどね。輸入物でもなんでもある時代になってきましたけど、その当時は僕は信州ものにこだわってたんです。長野か群馬。ただ今は、高千穂でも作ってるみたいですよね」
ア「そのものの良さを知るってことなんだろうね」
鉄「あまりにも、知らないのよ」
ア「流行りだーオシャレだー、なんじゃらかんじゃらだけでさ」
ぱ「なんかこう、枠組みだけのオシャレとか体裁だけがあって、内容が無いヨーみたいなのが多いじゃん、なんかさ」
ア「うん(笑)。これ、やってる自分、かっこいい!みたいなやつやろ?」
ぱ「そう!!!なんなのあれ」
鉄「ママ~♪(人間の証明を歌う)」
ア・ぱ(爆笑)
チ「人間の証明なの?」
一同 (爆笑)
ぱ「そればっかり気になってる」
チ「はやく答えがほしいんだけど」
ア「いま調べるときじゃない?」
鉄「これ誰が歌ってるか知ってる?」
ぱ「つのだ☆ひろ?」←違
(そして話題は“人間の証明”から音楽へと移り、夜は更けていくのでした・・・)