近況

昨日は、いったん実家に戻った後、叔母のおつかいへ。なかなか戻らない私を探しに、一人で出掛けてしまった母。寿命縮まりました。

 

叔母宅で呑気に油を売って実家に戻ると、「お母さんと会った?」と父。「あの子が帰って来ないってしきりに言うから、"行くなよ"って何度も言ったのに、目を離した隙に、おらんのじゃ」おらんのじゃじゃないし!ダチョウ倶楽部かよ!なんで目離すのよ!

 

「店に行ったんだろう」と、煙草をふかしながら父。

 

「おかーさーん!」と、家の周りを探すけど、いないし夜だし肌寒いし。父には家に居てもらい、私は車を走らせ、しゃんしゃん歩いていたところを、あっさり確保。

 

私「心配して迎えに行こうとしてくれたの?」

母「そうだよ、私は、気が気じゃなくて、もう」

私「ごめんね」

母「いたから、よかったが」

私「ありがとうね」

 

父に電話。

私「いたいた!」

父「いない??」(※耳が遠い人)

私「いました!ぶじ、確保!」

父「おー、よかった、心配した」

 

 


母としては、夜だからとか一人じゃ危ないとかいう発想は毛頭なく、本当に「迎えに行かねば」の一点突破だったと思う。子供返りしてると同時に、私を幼児のように思ってる節がある。とにかく、無事で良かった。道に迷ったりしてなくて本当に良かった。ヒヤリハットで済んで良かった。またこういう時に限って名前書いてないツッカケ履いてるし(白目)

 

 

認知症でも体が元気だと、こういうことが起こる。もちろん本人に悪気はないし、本人なりの理由や目的があっての行動。父にあたってしまったけど、今回の原因をつくったのは私です。おばちゃん家でお茶いただいて帰るって一報いれるべきでした。反省。

 

「おー、おかえり」と笑って迎えてくれた父に、謝罪した。母はキョトン。

 

時間が経って、自分の言うことをきかずに出て行った母を、すぐ追いかける元気は父にはもう無いんだろうなあ、と切なくなったりもした。いったん待ってみよう、と考えたのか、真意のほどは謎。マイペースな彼もだいぶ疲れてる。普段から、「お母さんは、おれの言うことは、きかんのじゃ」とお嘆き。もっとも、そこは認知症になる以前からの話でもある。

 

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写真は、叔母からもらった、あくまき。叔母は、何も知りません。そして生活は続く。

 

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甘い醤油買って、宮崎へ戻る

 

 

「ぼけますから、よろしくお願いします。」って映画の存在を知る。観たい。

秘密の手紙

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    歌手活動をしている小中学校の同級生がレギュラー出演していた鹿児島のテレビ番組を見た。ちょうどアナウンサーが彼の地元でゆかりのある人物や場所を取材してくるという企画で、本人が大好きだと公言するこの辺では馴染みの「ラーしも(通称)」を紹介しているところだった。通っていた中学がすぐ近くなので、よく部活の帰りにみんなで寄り買い食いした店。当時まだ土曜の午前中は登校していたから、放課後に行くと先生達に遭遇することもあり微妙な雰囲気になっていたこと、目の前の県立高校の生徒もたくさんたむろしていたことなどを一気に思い出した。

    久しぶりに暖簾をくぐる。卒業後も数回は行った記憶があるが、それでも15年くらい振りだと思う。テレビを見た時から薄々気づいていたが、みんなに「おばちゃん」と呼ばれていた店主は、肉眼でもあの頃と何一つ変わらないようにみえる。淡々とラーメンをつくり、愛想笑いとかしないタイプの美人。私は中学生から中年になったのに、おばちゃんはそのままだ。自分一人だけが歳を取ったような錯覚に陥りながら店内を見渡すと、壁に掲げられたメニュー板の変化に気づいた。昔はうどんやフライドポテトもあったが、今はラーメンだけ。あとは、週刊誌や漫画が並ぶ棚の上にあるテレビがブラウン管じゃなくなっていたことと、その同級生のサインが飾られていることくらい。

    中学の頃はラーメンはラーメンだと思っていて、つまり世には多種類のラーメンがあることをまだ知らなかったから、ラーしもは醤油ラーメンだということも今回初めて認識した。甘い甘い醤油味の茶色いラーメン。チャーシューももやしも、あの頃と全然変わらない気がして嬉しくなった。私のラーメン原体験は、醤油ラーメンだったのか。

    ノスタルジーに浸りながら食べていると、おばちゃんが串良ですか?と話し掛けてくれた。かくかくしかじかテレビを見て来たと話すと、彼女と共に厨房に立つ娘さんが、あの取材は本当に大変だったんだよと教えてくれた。恥ずかしがり屋のおばちゃんは、フレームから外れるよう外れるよう逃げまくっていたらしい。番組で印象的な場面があった。取材後おばちゃんが「あの人に渡して」とスタッフへ手紙をこそっと託すシーン。すごくおばちゃんらしい感じがして好きだった。それをスタジオで受け取った歌手がカメラの前で泣いたり手紙が読み上げられたりしなかったのが、私としてはさらによかった。

ラーメンしもむら

鹿屋市串良町岡崎2555

 

ひとんげの餅

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久しぶりにけせんだんごが食べたくなり、実家から最寄りの和菓子屋へ行った。幼い頃よく叔母に連れられて来ていたお店。びっくりするくらい良心的な価格で美味しいけせんだんごと、大の甘党だった祖母のお供え用に酒饅頭やかるかんを確保し、せっかくだからその叔母にもなにか差し入れをしようと店内を物色していると「いこもち」というのが目に入った。

 


いこもち?いももちじゃなくて?と一瞬よぎるも、鹿児島のことを知らなさすぎる鹿児島人としての自覚があるだけに自信がない。客は私だけ。お店の奥様がにこやかに接してくれることをいいことに「いこもちって何ですか?」とたずねると「鹿児島の郷土菓子ですよ。ほら、いこもち粉を使った...。あ、鹿児島の方じゃないんですかね?」と返される。そうなりますよね。思いっきり鹿児島弁で喋っているけど、もう言えない。実家が近所で小さい時よく来てましたなんて絶対言えない。中途半端な笑みを浮かべ、不勉強でお恥ずかしい限りですなどとごまかして、一つ頂いていきますと手に取り、あら、この重量感と質感は、と思ったときには「これ、ひとんげの餅じゃないですか?」と言ってしまっていた。

 


ひとんげとは鹿児島弁で上棟式のこと。私の認識では、高い所から一斉に撒かれる祝い餅やお菓子や和紙に包まれたお金などの家主からの振舞いを頂戴しに集まった周辺住民が争奪戦を繰り広げるイベント。子供の頃参加してはガチな大人達の洗礼を受けてたじろいだ記憶があるが、考えてみればこれも地域によって個性がありそうだ。私がそれ専用の餅だと思い込んでいたいこもちは、煎った米の粉(いこもち粉)で作った鹿児島の祝い菓子のひとつだそう。ひとんげのは丸餅で色は紅白二種が主流だが、普段用は形も色味も自由らしい。

 


無知を恥じる気持ちよりまたひとつ知らない鹿児島を知れた嬉しさが勝ってしまい、各手土産やお供え用にも一つずついこもちを追加した。叔母の家で淹れてもらった緑茶と一緒に食べながら、こんな味だったけ?と思ってしまったのは、戦利品にありつけた記憶のない私からしたら当然なのかもしれない。縁起物なんだねーと言いながらほおばる私に、叔母が心配そうな表情で「ほんとにこれを知らなかったの?」と確認してくる。ひとんげの餅を普段も食べられるとは知らなかったと答えると、今度は叔母が中途半端な笑みを浮かべていた。

 

桃太郎屋
鹿児島県肝属郡東串良町池之原87

 

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これは、けせんだんご


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けせんこと、シナモンの葉


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嫁と姑の恋バナ論争

 

 

    町のちいさな喫茶店カフェ・シェスタがランチや定食を辞め喫茶だけになってから10年、スティックチーズケーキとドレッシングの通販とテイクアウト専門店になってから6年ほど経つ。それまで、ここのゴマだれとんかつが大好きだった私にとって、チーズケーキはあくまでもついでの存在でたいした思い入れもなかったから、当時はとんかつや日替わり定食が食べられくなったことへのショックの方が大きかったのだと思う。

    女性二人で切り盛りしている店。娘さんらしき調理担当者はとにかく手際が良くて仕事が速い江戸っ子みたいな人(江戸っ子の知り合いがいないからイメージです)。お母さんらしき方はおっとりした雰囲気で配膳と接客をする癒し系。ずっと親子かと思っていたが、彼女たちは嫁姑の関係らしく「仲悪いのよ!」と冗談ばかり言って笑い合う。こんなに仲良しな義理の親子も珍しいと思い、ほんとに喧嘩したりするんですか?と興味本位で訊ねたことがあり「あるある」と食い気味に返答されたが、その喧嘩の内容が未婚の私にはなかなか高度だった。嫁「うちの旦那は本当に優しくていい男」姑「悪いけどうちの旦那の方がいい男よ」「ちょっと待ってん、うちの旦那はあなたの息子でもあるわけだよ?そこは譲って良くないけ?」「うんにゃ、そこは譲れないし、あんたが旦那さんを産んだのは私よ」。「もうさ、歯がゆいわけ!」とお嫁さんが力説してくれたが、なんだその二世代に渡る壮大な惚気は!と開いた口が塞がらなかった。二人とも今でも旦那さんに恋をしてときめいているのだそう。未知だ。未知すぎる。

    客としてはもうそれを食べるしかなくなったからなのか、作る側のエネルギーが一点集中しているからなのか、肝心なチーズケーキは爽やかで甘酸っぱくてとても美味しい。研究や試行錯誤や緻密な計算を重ねてこの味に落ち着いたのだという。冷凍したものをテイクアウトすることができるので、我が家にストックがあるときはそれを日々のご褒美として食べることにしている。一本ずつ解凍してちびちび食べながら思い出すのは、頬を赤らめながらそれぞれの恋バナ(旦那さんの話)に興じるチャーミングな二人の顔。甘酸っぱい初恋の味とでもたとえるべきか。この味は、添加物不使用とかそんな次元の話ではない気がしている。

 

カフェ  シェスタ

鹿児島県肝属郡肝付町新富117-2

雑誌「ケトル」TBSラジオ特集を読んだ

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やっとゆっくり読みました「ケトル」TBSラジオ特集号📻📖私の日々の情報源はほとんどTBSラジオだよ、、、


たまむすび水曜日の「おしごとラボラボ」聴いて即ポチった、いい鴨です🦆と思っていたらば予想以上に永久保存版の良書だった🤓yeah

 


橋Pと偉い人の午後枠変遷対談(小島慶子から赤江珠緒に移り変わったあたりの話は”時を経て”点と点がつながる話)。

 

びっくらこいたのが日頃愛読している書き起こし職人みやーんさんまで登場(感動💜)。

 

雑誌ブルータス編集長西田善太の文字数無視した?ラジオ愛(tfmのavantiに出ていらしたなんて🍷!「東京ポッド許可局」を名指しで推す理由には目から鱗のちハゲしく納得)。

 

伊集院光の毒(いいぞ!)。大沢悠里永六輔の金言集(なんかもう拝んどこ🙏ありがたやー)。

 

久米宏生島ヒロシの茶目っ気(愛すべきベテラン勢)。

 

ライムスター宇多丸編集長(早口だけど聴きやすいのなぜ←ラッパーでしょ🤗)。

 

荻上チキさんの聴いたことないから聴いてみよ。

 

あーおもしれ。敬称略。

 


鹿児島の郷中教育ではないけれど、世代間をつなぐというキーワード(伊集院さん、スーさん)や、年齢が上の者から下の者へ受け継がれていくものとか、なんかいいなあって。ラジオは情報じゃなくて空気を伝えるもの、とか。でも災害時に役立つ信頼性や機動力も兼ね備えてるし、とか。ふだんぼんやり思ってる私なりのラジオ愛がしっかり文字化されていて感動してしもうた🍵作り手とリスナーにこんなに知性や品やユーモアを感じる局は、いま他にないんじゃないかな🤓私も上手な気づかいがさらっとできる大人になりたひ💅🏻

 

以上、宮崎市にお住まい🌴独身中年サイレントリスナーからのおたよりでした✉️

 


ただ流れゆく気軽さや儚さが良さだったりもするラジオだけど、そのエッセンスをぎゅっと集めて文字で残しておくのも、アリ🐜だったんですな👍(赤江珠緒口調)

 

ラジオと雑誌、わしの好きなメディアツートップの見事なコラボレーションをみた👍そしてradikoLISMO WAVEなどネットで遠くのラジオ聴ける文明?技術?この時代に改めて感謝でしょうそうでしょう!(瀧さん)

読みながらシャッフルしてたiPodからライムスターPOP LIFEきてあがったー

鹿児島のミニコミに出会う話


\よろこびを他のだれかとわかりあう/

 

 

街や世の空気感を文字であらわして分かち合うことに対する欲求の普遍性について。役割分担でいえば、たぶん、役割分担論でいえば、村上春樹がいうところの「雪かき」なんだと思う。雪の降らない鹿児島では「灰かき」とでもたとえるべきか。いやいやいやいやいや、、、
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去年つくったzineを鹿児島ブルース界の重鎮・Blues T-BONEのマスターが発行直後に数冊買ってくれた。一冊残して、あとは好きそうな人にあげるって。

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義理人情で買ってくれて有難いなあと思っていたら、実際ご本人も読んで、次訪れた時に感想をきかせてくれて、「いつの時代もこういうミニコミする人いるんだね。あなたもけっこう変な人だね」と言われたのが今思えば引っかかってはいた。変な人に変な人って言われた、、、
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だいぶ後になって再訪した際、マスターから「はいこれ、読む?」と今日の新聞でも渡すくらいのノリで見せてもらった「新上橋少年」という小冊子。しんかんばししょうねん、と読みます。新上橋は地名。Blues T-BONEの常連さんや仲間たちが当時の鹿児島の音楽シーンについて座談会を開いたり、エッセイを寄せたりしている。
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話題は音楽だけにとどまらない。マスターが当時贔屓にしていた鹿児島出身の逆鉾という力士の魅力について書いていた回があった。「サカホコ?」「うそでしょ逆鉾知らないの?」「鹿児島のお相撲さんて寺尾しか知らない」「寺尾の兄ちゃんよ!!」ってがられた件はさておき、逆鉾という名の焼酎をいただきながら、ぐびぐび読んだ。そこらへんに暮らす人たちの飾らない生きたことば。ぐっときますよね。「あなたがあのミニコミを持ってきたから、久しぶりに新上橋少年も読んだけど、やっぱりおもしろいよね」とマスター。なんていうんですかeveryday people感。

 

 

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鹿児島のジャズ好きたちが発行していた「MODERN PALS」というリトルマガジンがジャズ喫茶門で発掘されていたことを知ったのは、その少し後だった。
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年代こそ少し違えど、各ジャンルでそういうコミュニティの動きがあったんだ。T-BONEのマスターに”MODERN PALS”をご存知か尋ねると、知ってるもなにも、会員だったのだそう。「パノニカ」という店のこと、そのオーナー中山信一郎さんのこと、「コロネット」や「リバーサイド」という店のこと、出てくる出てくる繋がる繋がる。
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話とびますが、鹿児島の人たちの、良くも悪くもアクが強いかんじが私はとても好き。不器用で愛想笑いの類が下手くそなかんじや、言葉が足りなくて誤解されやすいかんじもとても好き。
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先日、金曜夜のジャズ喫茶門で音と酒を浴び、本棚でみつけた中山信一郎「土曜日のジャズ 日曜日のシネマ」を貪り読んでいたらば

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MODERN PALESの表紙を描いていたという仙人にナンパされる事案発生(宮崎駿かと思った...)。

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音楽の話、中山信一郎さんのこと、渋やんというピアニストのこと、いろんな人にいろんな話きかされ(鹿児島の人はほんとにめっちゃ教えてくれる...きいてもないのに!笑。)脳内容量たいがいパンクした後に、門がなくなる10月以降はあの店に行くといい、この店はもう行ったかとか、知らない単語続出につき途中からメモとりながら📝呑んでた話はまた別の機会に。濃厚の極み、薩摩。

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なんかよくわかんないけど知りたい。自分の手で触れたい触ってみたいって若輩者に、鹿児島の大人たちはほんとうに優しい。いつももらってばっかりだ。あれしなさいこれしなさいって言うけど、決めるのは我がでせえよってスタンスがまた心地よい。