4月20日 宮台真司の発言メモ

文化放送大竹まことラジオに宮台真司がリモート出演していたときの話がおもしろかったので、自分メモ。

 

 

社会学者としていうと、このロックダウン(自粛)中に、新しい営業や労働や消費の形態をどう編み出していくか、アイディアの実装に時間を使うべき。

 


たとえば娯楽についても映画ライブ飲み会などオンライン一般化。非常時だからそうなっていると思いがちだがそうではない。コロナが終わった後も新しい働き方や消費の仕方が必ず残るだろうと思いますよね。

 


働き方。リモートワーク、時差通勤、朝礼廃止、飲み会廃止あたりまえに。成果物での評価になる。正社員/非正規の差別なくなり、同一内容同一賃金に近づいていくでしょうね。

 


安全保障。グローバライゼーションもいいけど、いざという時に国内で賄える、自社で内製化できる図式あたりまえになる。労働スタイル、消費(娯楽)スタイル、企業のサプライチェーンスタイルの在り方変わる。それらを支えるのが高度なテクノロジー

 


各国の政府の性能、あるいはそれを支えている(民主国家であれば)民衆の民度などがどんどん炙り出される。冒頭に「安心」したが、安心と安全は無関係ではなくむしろ逆。たとえば、「PCR検査が陰性で安心する」=危険。こういうの至るところにある。

 


日本はとにかく安心を求める。安心厨はゼロリスク志向。ちょっとでも不安要素あるとギャーギャー騒ぐ。安心マニアは、心配しながら自分で色々考える安全マニアとは違う。要するにお任せ志向。100%お任せのくせにゼロリスク志向=いろんなバランスを考えた上での政策の重荷になる。

 


これからはバランスなので、ゼロリスクというのはあり得ない。どの国でも、コロナとある種共存しながら経済を再開する道を必ず探ることになる。ベイズ統計的な期待利得の計算を、各個人が心のなかでやる。人によって心の重み付けが違うから行動戦略も変わる。「みんながやってるから」みたいな国民性では負けていく。そうではなく、各人にそれぞれのポジションがあり、それぞれの評価の物差しがあるわけですよね、人生の中で何が大切なのかというと。それぞれが、それぞれの物差しによって、心の重み付けを変えながら、ゼロリスクではないバランスを模索していかなくてはならないということになる。それができる人できない人の落差があらわになる。

 


Q.国の政策についてどう思いますか?

中身うんぬんより、プロセスやプレゼンテーションの仕方が完全なでたらめ。物事には目的→手段いう順番。「この政策の目標はこれである」と、まず目標を言わないとだめなんですよ。

 

 

 

(MC:一人ひとりの立場でしっかり考えた集合知自治体→国→グローバルな動きになるのが理想的な態度ですが、それを発信できる人が少ないですよね?)

 


それを呼びかけてるんですね、一生懸命。

 


孤独になると、人は、不安ゆえに、安心厨になりゼロリスクマニアになってしまうわけですよ。その意味でいうとね、これから労働も消費も、集団より個になっていくわけです。で、個を支えるのは今までの会社ではなく家族や地域なんですよね。それらのなかであれこれ話しながら自分の価値観が定まっていくというのが人間の本来の在り方。人間は思い違えやすいに、不安ゆえに吹き上がれやすいでしょ。でも、それをね、なんとか緩和してくれる社会的な関係を持つかどうかといのも非常に重要。生き方そのものも、当然、問われてきますよね。