きっかけは青島ビーチパーク。鉄砲のマスターと語る、地域活性にまつわるエトセトラ

「東京旅の記録」連載中に無駄に長いタイトルのポストぶっ込みます。

 
どうも、ぱっこりん、前髪、です。
 
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こちらは、宮崎駅前商店街の串焼き屋「鉄砲」のマスター永家さん。
むかしから、「前へ、前へ」と、常に「行動」が信条の60代。
災害時にも、国内外問わず、私利私欲そっちのけで、すぐさまなにかしらアクションする姿勢は、私からすると、泉谷しげるもびっくりのすさまじさなのです。
 
そんな絶滅危惧種なみの珍獣おじさんと(ほめてる)久しぶりに語りました。
 
話題は、「青島ビーチパーク行った?」という話から、青島ビーチパークにみる新しいAOSHIMAのかたち、そのムーブメント、それらを取り巻く宮崎の環境、土地柄、県民性、そして地方創生(地域活性)論などなど。
 
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(なんだかてんこ盛りすぎて途中から思わずメモを取りましたが、自分の漢字の書けなさ具合が加速している事実に対峙するという明後日の方向へと着地を遂げる)
 
なにを隠そう、永家さんという方は、宮崎で生まれ育ち、高校卒業を機に上京し料理(フレンチ)の道へ進み、世界一周の旅を経て帰省し、自身のお店を持ち、早38年。この「鉄砲」で串焼きを焼きながら、息子さん所属の少年野球コーチ務めつつ、東京や県内外からアーティストを招くライブを主催したり、商店街のお祭りやいわゆる地域活性イベントに、(ご本人の言葉を借りれば”嫌というほど”)携わったりしてきたお人。
 
(音楽的なことでいうと、鹿児島のT-BONE本山さん、宮崎の野蛮人 永家さん、といえば、伝わるのかしら)
 
マスターは去年も今年もまだビーチパークへ実際はいらしていないようですが、なんてったってアンテナびゅんびゅん張ってますからね、「青島ビーチパーク」というものが発信しているものとブランディング力の高さを的確にキャッチし、絶賛していました(なんなのこの上から目線、前髪ぱっこりんて誰まじで)
 
青島ビーチパークが発信しているものとは、ここでは、「宮崎を外からみた人たちが教えてくれた、宮崎の内側にいる人たちにとっては当たり前すぎてスルーしていた宮崎の魅力」とか、「観光資源としての宮崎(青島)のポテンシャル」とか、そんなかんじ。
さらに、それらが、県外の方が宮崎を訪れるきっかけになると同時に、宮崎の内側にいる人たちも「宮崎にこんな素敵な場所があったっちゃ?!サーフィンや海水浴しなくても楽しめるビーチカルチャーってあるっちゃね!!」と、宮崎の魅力を再発見したり、自分たちが暮らす土地に新しい価値を見出したりする効果をもたらすきっかけにもなった。そういう意味で、青島ビーチパークは文化装置としての役割を立派に果たしたのだと思います。
これは、文化人類学がいうところの「周縁による中心の活性」、社会心理学がいうところの「他者をとおして自己を知る」という現象だな、と私は勝手に感じ入りましたがな、という話を去年このブログに書きました。(その記事はこちら
 
詳しい経済効果は存じ上げませんが、新聞やニュースなどでみる去年の動員数と、今年も開催=予算が充てられている事実をみる限り、それなりに効果はあったんじゃ...ない...のかな?といつも勝手なことばかり書いてすみません。
 
マスターはインターネット上には存在しないので、去年の青島ビーチパークフィーバーに感銘を受けた私が書いたポスト「2015年みやざきAOSHIMAムーブメントにみる、周縁による中心の活性」ももちろんご存知ないわけですが、それを踏襲してさらに深い見解を展開。
 
青島の海に限らず、宮崎の外側からみたらすごく魅力的で豊かなことなのに、宮崎の内側にいる人たちはスルーしまくりな「宮崎の魅力」ってたくさんあるんですよね。たとえば、食。宮崎には安全で美味しい野菜や果物やお米などを作っている農家さん、たくさんいます。すばらしい料理人だっている。でも、宮崎における野菜の消費量は全国平均を大きく下回る。肉も魚も美味しいのが獲れる。県外から来た私の知人友人も口を揃えて言います。「宮崎の食材はすばらしい」と。東京育ちのある友人に至っては、「こんなに恵まれたとこにいて、コンビニやファミレス、ファーストフードものばっかり食べて添加物まみれになる意味がわからん」とまで言います(あくまでも個人の意見です)。それくらい、ある視点からすると恵まれているという意味でしょう。
 
宮崎の外側と内側、この温度差、笑けてくるくらい、往々にしてありますよね。
 
こんなこと書くと無責任極まりないけども、私はもともとは鹿児島の人間で、宮崎にはトータルで9年くらい住んでますが、地方創生とか地域活性とかいう類には実はまったく興味がないのです。
 
ただ、宮崎だろうが鹿児島だろうが、素敵な「点」がたくさんあるなと日々感じておりまして。その点とは、安心できる食材で美味しいごはんを食べさせてくれる小さくとも素晴らしい飲食店(&営む人)や、クリエイティブやアートやジャズしている(比喩含む)魅力的な人やムーブメントなど。私にとっては、青島ビーチパークも、よしフェスも、野良!も、マルクトおおすみも、すべて魅力的な、表現体としての「点」なわけです。その、ちいさくとも確かな光を放つ「点」をまずは受け取れる自分でありたいし、できれば「点」と「点」が線になって有機的に繋がっていったら素敵だなあ、と漠然ながら思うわけです。
 

一方、マスターの見解も方向性はだいたい同じで、名前こそ出しませんが、ここ最近宮崎でも増えてきている素敵な個人の飲食店(だいたい県外からの移住者や、Uターン組がやってたりする)。マスターはそれらを「宝」だとおっしゃっていました。ほいで、点と点は、線になって、面になっていかんといかんとよ!とも。

 
「たぶんね、俺が感じ取るに、現状を打破しようとする人間やとよ。夢を現実にする人間。行動する人間やね。保守的で波風立てることを嫌う風潮に逆らうかもしれないけど、それでもより一層の相乗効果を求める人間。そういう若い世代がいるっていうのは、宝やとよ。潰しちゃいかんとよ。そういうやつらに対して、応援するとか協力するとか言う大人もおるやろうけど、俺はそういうんじゃないとよ。まず協力するって言葉、おれは嫌いやね。協力する、イコール、なにもしないってことやからね(※あくまでも個人の見解)。俺は、外から見て口だけ出すのは好きじゃない。その中に入って一緒に行動したいとよ」
 
(この話をきいて、似たようなニュアンスで、全国フリーペーパー展in都城主催のキクカワマサミさんが「盛り上げる」って言葉が好きじゃない。結果として盛り上がる分には大いに結構だけど、盛り上げるって、ねえ?みたいなことをおっしゃっていたのを思い出し、それをマスターに伝えたら、「そうか、都城にも同志はいるか」と喜んでました)
 
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「そういうがんばってる人には老若男女問わず会って話してみたいし、なんなら、トータル的な活性化を望む人の会合、開きたい。人数は少なくていいとよ。核になる人数は少なくていい」とも。
 
トータル的な活性化とは?と問うたところ、「食を始めとする文化、個人のレベルアップ」と。
 
私、個人的には、地域活性とは「自分活性に努める個人どうしのケミストリーや協調の結果」だと捉えていて。この点においてはマスターと意見が一致。
 
余談ですが、私、むかし、ハタチそこそこで地域密着型のフリーペーパーつくりに奔走していた時代があり、行政こそ絡んでいないけど私自身も地域活性化の渦中にいました。地域の個人事業主含む、周りのいろんな大人たちから浴びせられた好き勝手な言葉たちをいちいち真に受けて翻弄されたりしながら。概して、「地域活性のために一役買ってね!がんばってね!」みたいなかんじ。
地域活性ってなんなんだ?地域ってなに?誰?なにを以って活性?と、日々ぐるぐる考える
その結果、私は地域活性を「自分活性に努める個人どうしのケミストリーや協調の結果」と定義づけるのです。東京事変も「当事者を回避している」とは、よく言ったもんだとおもいます。
 
 
話を元に戻すと、マスターはとにかくトータル的な活性化につとめる人には会って話したいらしいです。前を向いている人、好きですからね。
 
なにがいいたいのかわからない文章になっちゃいましたが、これを読んで、ピンとくるなにかがおありの方もしいらっしゃれば、広島通りの赤提灯「鉄砲」ののれん、くぐってみてはいかがでしょう。マスターは、「おまえ、日時を決めて、鉄砲に集合って書け!」とか言ってるけど、そんな時代じゃないからと、それは私が却下。
 
しかし、鉄砲さんは置いといて、魅力的な小さなお店を営む方ほど、オフィシャルには寡黙になる傾向にありません?そうならざるを得ない状況に追いやられるというか。ブログだSNSだってこれだけ個人が発信力持つ時代において、発信してほしい人に限って黙るしかない矛盾。なんか、つらい。私は、つらい。すてきな自家発電系個人事業主の声を拾える場をつくれたら、いいよね。
 
以上、好き勝手、書いた!